Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|ナイトレインボー
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ番外編。
透けるようなプルシヤンブルーの月夜に浮かぶ白い虹、ナイトレインボー。見る者の願いを叶えるというその虹の出現は、まるで常夏の島のミラージュのように神秘的。それは、この島に、いにしえの時代から伝えられているモオレロ(物語)…。四六時中、海と空だけを見つめていたわたしたちの船上生活においてでさえ、たったの一度しか出会うことができなかった、それは、紛れもない幻の虹。
“それは、紛れもない幻の虹”
島の東のちょうど一六マイルに、一軒のストアがある。ちっぽけだけど、朝には淹れたてのコーヒーを飲ませてくれるスタンドも付いているし、島人が日々必要とするものは一通り揃っている。ビーチピクニックに行く途中のピックアップトラックが、クーラーボックスに追加出来る氷が詰まった袋なんかも売っている。心優しい初老のレス夫妻は、そんなストアのすぐそばで、もう長いこと暮らしている。
ストアからもほど近い道端で、ある日遭遇したというチョコレート色の毛並みのメア(雌、馬)。風貌からすると、ハワイアンポニーの血が流れているに違いない。どこからやって来たのだろうか、痩せほそり、その姿は疲れ果て、途方に暮れて見えたという。数日が経過しても、馬主が現れる気配も無く、彼女はいっそう無力に見えた。このままでは命を落としかねない。心を痛めたミスター レスは、遂にメアを、自身の家へと連れて帰っていったという。夫人もメアを歓迎し、夫妻は彼女をキティキティと呼ぶことにした。キティキティとは、子猫にそばへ来て欲しい時の呼びかけだけれど、哀れなこのメアへ寄せる夫妻の思いやりが、彼らにこんな愛くるしいニックネームを思いつかせたのだろう。
“馬の親子を家族として迎えてくれないかい?”
「馬の親子を家族として迎えてくれないかい?」
夫妻からの連絡だった。古代ハワイの王、カメハメハの誕生日の朝、なんと馬がニ頭に増えていたという。キティキティがベイビーを産み落としたのだ。痩せ細った彼女が子馬を宿しているなんて、夫妻は想像すらしなかった。ミスター レスは、一頭のメアのみならず、子馬の命をも乾いた道端から救ったのだ。しかし、間も無く夫妻は気づいた。二頭の世話をするには、自分たちには十分な体力が無く、子馬と一緒に成長できる子どもたちのいる家族に、ニ頭を迎え入れてもらうべきだと。カメハメハ王の誕生日に生まれたキャラメル色の子馬は、王の名の頭文字を授かり、キャムと名づけられた。そうして、チョコレート色のキティキティとキャラメル色のキャムは、わたしたち家族の一員となったのだった。小さな子馬のかわいらしさと言ったら、たとえ不機嫌な人でさえ、瞬時に夢見心地になれるほど。馬の親子がやって来た時、キラカイは七歳、そしてタマラカイはわずか四歳だった。二頭を迎えた少女たちの笑顔が、どれほどキラキラ輝いたのかを想像することほど、この世で容易なことはないだろう。まるで点滅するカラフルなお祝いの電飾みたいに。こうして二人の少女は馬たちと一緒に、満たされながら育っていった。
わたしたちの島の日々に、集め切れないジョイ(喜び)と、ぬくもりとをもたらしてくれた数年後、キティキティは、遠い星へ逝ってしまった。…そうして、更に時は過ぎ行き、とある十二ヶ月が始まる夜明け前のことだった。
もしも人に例えるならば、美しい青年へと成長したキャム。今夜はなんだか様子が違う。美しい立髪に逞しい体つき。そんな勇敢な風貌に相反して、馬はとても繊細な生き物。ほんの少しの要因が命に関わることだってある。最初に目覚めた誰かが異変に気づき、わたしたちは皆ベッドから起き出した。何が起きたの?…わたしたちの心はキャムにぴったりと寄り添った…。その時、
「…ナイトレインボー…!」
思わずわたしは叫んでいた。夜空に橋を架ける白い虹を発見したから。そう、あの幻のナイトレインボー…!夢を叶える幻の虹…。
“わたしたちは忘れはしない。その高揚した空気を満杯にした
ラピスラズリ色の清らかさを”
夜の終わりを待たずに、キャムには問題が無いことを明確に感じた。もしかしたら…キャムは、月明かりに照らされた屋根の上の白い虹の出現を、わたしたちに知らせようとしてくれたのかもしれない。わたしたち自身をその風景に取り込んで、すべてをひとつにさせるような夜だった。…わたしたちは忘れはしない。その高揚した空気を満杯にしたラピスラズリ色の清らかさを。ナイトジャスミンの香りが、漂い来るような静けさはエキゾティック。ベルヴェットの気品に溢れ、若い木々の手触りみたいに、それはそれはしなやかな夜…。そう、あの夜から、一体幾つの夢が叶ってきたことだろう。少女たちの夢。すべての子どもの心を持った大人たちの夢。…夢は、たったひとつに決めなくていい。それは終わり無く、余すこと無く叶い続ける。ふさふさまつ毛の眼差しを休めた、この地を駆ける、すべての馬が見る夢さえも。
Photos&Text:YAMAZAKI MIYAKO
PROFILE
山崎美弥子|Miyako Yamazaki
アーティスト。東京都生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、東京を拠点に国内外で作品を発表。2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。著書に『モロカイ島の日々』(リトルモア)、『ゴールドはパープルを愛してる』(赤々舎)などがある。
Instagram:@miyakoyamazaki
※こちらのエッセイは、株式会社ワコールのために作成され、同サイトにて2024年9月30日まで掲出されていたものです。