Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|vol.3 見えない金星
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ。
夏の終わり、長女キラカイが運転するピックアップトラック。助手席に座るわたしは、サマー・ブレイク(夏休み)でこの島に帰って来た、19歳の日焼けした運転手と語りあっていた。窓からの潮風に髪をたなびかせてガタガタ揺られ、夢のこと、日々の食事について、カレッジのこと、祈りや草花やこの惑星について…。わずかに聞こえるヴォリュームのアイランドミュージックを、小さなスピーカーからメロウに響かせる。
目が合って心地いい、南からわたしたちを見つめている水平線。島の東の「星の丘」から、わたしたちは引き返していた。どこかのビーチで停車し、ザブンと飛び込む計画だった。海沿いロードはくねくね曲がり、マウカ(山側)は、落石注意の高い崖になっているし、マカイ(海側)も風が強まれば、車体に波が触るほど。つまり道路は、きっと誰もが想像するより狭かった…。
幾つ目かのカーブでキラカイは、対向車を予測し、できるだけマウカ(山側)に寄りながら曲がろうとした、その瞬間…!なんと、想像を超えた出来事が起きた。対向車が、わたしたちのピックアップトラックに真正面から音を立てて激しく追突したのだ。キラカイは、ショックのあまり、言葉にならない何かを大声で叫びながら、勢いに任せてクラクションを叩き続けている。接触した箇所からは白い煙がもくもくと立ち上がる。その光景を見たわたしは、スローモーションの映画を見ているような、不思議な気分に陥った。我に返って、およそ4秒後にこう言った。
「クラクションはやめなさい。もうぶつかっているし、鳴らしたところで何にもならないわ」
対向車のドアがバタンと開き、慌てふためいた表情で数名が逃げ出すのを見て、慌てるべきなのだと気づいたわたしたち。犬2匹の前足を無理やり引っ張り、大急ぎで降車した。対向車の運転手と同乗者数名、そして、もちろんわたしたちも、幸い大怪我には至らなかった。だけれど、どちらの車体も大きなダメージを受け、キラカイは、先ほどまでの彼女を取り囲んでいたおだやかな世界が、一瞬で険しく豹変したことのすべてを受け止めきれずに、草の上に座り込んで嗚咽をあげた。モジャモジャ黒と小さい茶色。犬たちは静かに寄り添った。
頭の中は真っ白。途方に暮れることしかできなかった。…間もなく助けが現れた。ひとり、またひとり。ゴールドみたいに光る心で、ひとりは言葉少なく、ある人はおどけて、太陽みたいな笑顔の島人たち。わたしたちは、みんな救われた。誰もが、とても、とてもやさしかった。
波の向こうの、遠い大都会(まち)で生まれ育ったわたしが、不思議な羅針盤に導かれるように、この小さな島で、朝と夜とを迎えるようになった。そして気づけば、島での夏を20回も繰り返してる。その中で誕生した娘たちにとって、ここは紛れもなく、愛してやまない唯一無二の故郷。けれど、異人である親の元に生まれ落ちた運命に、寂しさを感じることは多々あるだろう。
何故なら、この島の子どもたちは大家族の懐に守られていることが当たり前。クラスメイトは皆、ロコの両親はもちろん、トゥトゥ(祖父母)や、大勢の同じファミリーネームを名乗るアンティ、アンクル(叔母さん、叔父さん)、それから数えきれない従兄弟たちにいつも囲まれ、守られた魂ならではの、安心感に満ちた息づかいをしている。…その一方、わたしたちは「わたしたちだけ」なのだから。
現実というパズルのピースが一つでもずれていたら、とりかえしのつかない事態になっていた。あの朝、事故に遭う時間軸にいるとは知るすべもなく、「星の丘」へわたしたちは向かった。鎮座する偉大なポハク(岩)に差し掛かる。キラカイは思い立ったように停車して、ピックアップトラックから飛び降りたかと思うと、そのそばへ寄り添い、捧げるようにオリ(チャント)を唱えた。あの響きが届いたろうか。…わたしたちは守られている。
その晩のこと、うわさを聞きつけた島人たちから、次から次へと言伝が届いた。我が故郷のあの大都会(まち)よりも、どれ程、この飾りのない島を愛していたとて、所詮、わたしは何処ぞからやって来た気取った都会人、濁りない心を持った島人たちの邪魔になってはいけないと、時に今でも所在無く感じることは否めない。でも島人たちは、そんなわたしのひとりよがりな思いをよそに、わたしたちが窮地にでも陥れば、あたたかい手を差し伸べてくれる。かならずや。そう、いつだって、誰かがそこにいてくれる。
「アーユーオーケイ?困っているなら知らせて。誰がなんと言おうとも、あなたたちは、わたしたちのオハナ(家族)だから」
わたしたちの疲れて乾いたこころの底から、繋がれた手のようにあたたかな、澄んだ泉が湧き出した。湧き溢れたその泉を、止めることなんてもうできない。目に映る、きらきらとした夜色のさざなみ立った水平線、やさしさの温度に滲んでかすむ。ゴールド・ハートの島人たちは、まばゆい星の使者なのだろうか。じんわりと影も形も見えなくなった。…ひときわ輝く、あの金星の輪郭さえも。
Photos&Text:YAMAZAKI MIYAKO
Instagram:@miyakoyamazaki