2024年 8月 15日YAMAZAKI MIYAKO
Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|vol.2 天国131番地の家
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ。
島の歌い手、ロノ。この島に訪れたことのある人は、きっと魅了されたことがあるだろう。そう、海沿いのレストランの、古びた椅子に腰掛けてウクレレを弾く、彼の朴訥とした歌声に。無論、わたしもそのひとり。…運命のような出来事たちは連なり、重なり、彼が過去に住まいとしていた131番地に建つ家は、その後、一度は侘しく忘れ去られたような時も経て、今はわたしたちが住んでいる。水平線以外は何も無い、乾いた丘に建つ、質素なこの家を心から愛したロノは、この場所を天国131番地と名付け、131(ワンスリーワン)という短いニックネームで呼んでいた。
そして彼は、この家にまつわる豊かな音楽を生み出した。ラナイから望める夜のカマコウ山にかかる、真っ白いナイトレインボウの楽曲、エントランスのサイドに植えた椰子の木たちの歌、そしてもちろん、切なくなるようなインストゥルメンタルのナンバー、そのタイトルは「131番地の天国」…。大好きな音楽世界の中で暮らすという夢のような日々を、わたしは現実に生きている。それは、この島の女神ヒナからわたしたちへ、予期しなかったとびきりスペシャルな贈り物。
わたしたちが家主になって初めて、ロノと彼のパートナーのスーザンをサンデーブランチに招いた。ふたりが暮らしていた頃の、131のことを、わたしは思い出す。当時のこの家はまさに、研ぎ澄まされたレコーディングスタジオのようだった。…けれども、今や、
「この家はホーム(家庭)になったね」
…と言いながら、お祝いのボトルを片手に、家のドアをくぐったふたりの笑顔。彼らはここで暮らしながら、ラナイに訪れる赤い翼の小鳥たちに、手のひらから餌を与えたこと、お気に入りのシトラスの香りがいつでも漂って来るようにするために、幾種ものライムの種を植えたこと、ある時、この家に落雷があったこと、たくさん集めた岩を積み、祈りの場を作ったこと…。射止めた鹿のツノを、祈りの場に捧げたこと…そんな数えきれない思い出話を聞かせてくれた。かつてのわたしが彼らに招かれ、彼らの住まいだった頃の131に訪れた時、まさか未来の自分が家族とともに、ここで暮らすことになるなんて、想像することができたろうか…? この家にはわたしたちのウイッシュ(望み)がすべてつまってる。人生はミラクルに満ちている。
ふたりが差し入れたシャンペインとオレンジジュースをミックスする。そこにわたしたちのフリーザーから取り出したフローズン・ストロベリーを投げ入れた。
「ヘーイ!」
陽気にウインクと一緒に乾杯しながら、視線の先に横たわる水平線を揃って眺めた。時の果てを探しあてるかのように。ロノの尽きないストーリー。家を持たず、お金を持たず、寝場所を提供してくれる人たちに支えられながら、音楽だけに捧げた人生。ふたりがこの家に暮らしていたのも、自らのヴァケーションホームとしてこの家を建てた、わたしたちの前のオーナーが、島を留守にする12カ月のほとんどの間、無償でふたりを住まわせていたからだった。
いたずらっ子のように笑いながら自分たちのことを「ホームレス」と呼ぶふたり。そして、9枚目のアルバムのために作曲中であることを彼は語った。「カヌーのパドルや、そのほか売れるものは全部売るのさ」…アルバム制作資金作りのために。彼らの数少ない私物を手放すのだと。
ハッピーでレイジーなブランチを終えたふたり。
「この家を大切にしてくれてありがとう。わたしたちの家じゃあないけれどね。131は息を吹き返したわ。」
とスーザン。
「アフイホウ(さようなら)。」
ロノは、131のドアを閉じた。
ジェットコースターように急な坂の、天国131番地のドライブウェイを、それはそれはゆっくりと下るふたりのクルマ。まるで、優しい音色を奏でるために、ウクレレの弦を彼の指がそっと撫でているかのよう。坂の向こうには海と空の青と青。あの歌のメロディが、風となって、わたしの頬をこすって逃げてく。わたしはふたりのクルマを見つめ続けた。アカシアのシャドウに隠されて、蜃気楼のきらめきに、その姿が完全に、見えなくなってしまうまで。
※2017年当時、このブランチの後、ロノのアルバム制作のためのわたしの呼びかけに、予想以上の応援が集まり、彼は彼の大切な私物を手放さずに済んだことを記す。
Photos&Text:YAMAZAKI MIYAKO
PROFILE
山崎美弥子|Miyako Yamazaki
アーティスト。東京都生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、東京を拠点に国内外で作品を発表。2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。著書に『モロカイ島の日々』(リトルモア)、『ゴールドはパープルを愛してる』(赤々舎)などがある。 Instagram:@miyakoyamazaki