Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|vol.23 語り継ぐ
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ。

この島の最東端に位置する渓谷…。そこに初めて人が暮らし始めたのは、紀元前2000年ごろだという。ハワイの島々にはもともと文字を書く文化はなく、かつて、文字そのものが存在しなかった。だから、子や孫や、そのまた子の世代にまで残したい大切なことは、すべて「語り」や「歌」などによって伝承されてきた。もちろん同じように「舞」や「詠唱」も用いられたわけだが、中でも、その語りや、語ることを島の言葉で「モオレロ」という。古(いにしえ)の時代から、今もなお、脈々と続いている一族の末裔が伝える物語の数々。

…しばしばわたしは、オンボロのメルセデスを酷使し、当時、幼かった娘たちを連れだち、町から28マイル離れた渓谷まで通ったものだった。クリスタルクリアなビーチがウインクする、20マイルのマイルマーカーを過ぎると、海岸線に沿った道はいっそう細く、くねくね曲がり、対向車の運転手と、お互いに目くばせやあいづちを送り合い、譲り合いながらクルマを転がさなければならない。晴れた日の、このエリアの水平線と、隣の島のシルエットが浮かび上がる青々しい風景。岩肌にぶつかる幾千ものエメラルドの波の連なり。それらのすべてが、夢の中の出来事のようにあまりにも輝いていて、うっかりハンドル操作から手を休め、その輝きの中に溶けてしまうことを自分に許したくなる…。そんな至上の幸福感に満ち満ちている。一方、雲たちの群れに光が隠されたブルーグレイの日であれば、神聖で厳かな、シンフォニーが聴こえてきそうなドラマチックなムードに魅せられて、甘く打ちのめされてしまうのだ…。

麗しき道のりをぬけた後には、束の間、茂った枝という枝に視界が覆い尽くされ、海がまるで見えないシェイディなエリアを通過して、やがては渓谷へ到着する。すべては、今は亡き、アナカラ・ピリポのモオレロに耳を傾けるためにある、およそ一時間半、28マイルのトリップ(旅)。アナカラは時に、モオレロとともに、ウクレレをそれは器用に弾きながら、美声でメレ(歌)を披露した。透き通るようなフォルセット。年を重ねてもなお、まっすぐな彼の魂を映すかのように、そのやわらかさはこころの奥の奥まで、染み渡り、気がつけば、いつでも涙が溢れたものだった。
「ルールを破ってはいけない。でも、少し曲げるのは結構」
…少しおどけてアナカラは、いつもそう訪問者たちに語ったものだ。そのセリフは必ず笑いを誘った。まるでエンターテイナーのように振る舞いながら、その実、外部からの思惑による、数々の心なき仕打ちに見舞われた悲劇の歴史を背負う民族の末裔による、ジョークに見せかけた、それは「真の告発」であった。強いられたアンフェアなルール…。それを少し曲げるのは結構だと。

「メレ」と「モオレロ」とのゆったりとしたひとときを終えると、アナカラ自身が道先案内人役を務め、聖なる滝を目指してゆっくりと歩み出す。数千年もの記憶を留めた、ビリジアンの渓谷の森深く、深くへと。空は、響きださんばかりに、青く染まっていた。
Photos&Text:YAMAZAKI MIYAKO
PROFILE
山崎美弥子|Miyako Yamazaki
アーティスト。東京都生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、東京を拠点に国内外で作品を発表。2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。著書に『モロカイ島の日々』(リトルモア)、『ゴールドはパープルを愛してる』(赤々舎)などがある。
Instagram:@miyakoyamazaki




























