陶芸家、林友加が作るモノトーンのモダンな志野のうつわ
Numero TOKYO 5月号『モノトーンの表現者たち』にて紹介している志野焼の陶芸家、林友加の岐阜県土岐市にあるアトリエを訪ねた。
Numero CLOSETでは林友加の志野の作品を販売。詳しくはこちら。
岐阜県東濃地方を産地とする美濃焼。豊かな自然は陶芸に適した環境を作り、古くは古墳時代から、1300年以上にわたり多様なクリエーションを生み出してきた。なかでも安土桃山時代、中国の白磁に近い焼き物を目指して誕生したのが「志野」。この伝統的な焼き物に魅せられ、林友加はいま、私たちの暮らしに見合った新しい志野を模索し続けている。
志野を作る難しさ
「美濃という土地で志野をやるのは超伝統的、といってもいいことなのです。伝統的な焼き物は徒弟制度によって守られてきましたし、ありとあらゆることを先人の方たちがされてきた中で、『今さら志野をやるの?』と言われることもあり、手をつけるのは難しいと感じていました。
陶芸の世界では桃山陶がナンバーワンなのは揺るぎないとしても、自分は志野が好きだし、今、自分が見たい志野を素直に作ってみよう、と思い、初めは白磁と並行して趣味のような感じで少しずつ作っていました。その後、地道に公募展に応募していたら2〜3年後、現代茶陶展で優秀賞をいただくことができたんです。それから徐々に志野の仕事も知られるようになっていきました」
ピンクとグレーのコンビネーション
「ピンクは(安土桃山時代に生まれた志野が美濃で作られたことを研究し、昭和になって復興した)荒川豊蔵先生の流れを汲む色でもあります。その後、ある方と会話する中で『友加さんは普段着るものはモノトーンだし、選ぶものもミニマルなものが多いけど、焼き物はカラフルなんだね。もっと自分が好きなお洋服のような感覚で器を作ってみたら?』とおっしゃっていただくことがあったんです。
それまで志野といえばピンク、という思い込みでやっていたのですが、目から鱗が落ちる思いでした。それで『真っ黒な志野が作れないかな?』と考え、やってみることに。ただ、黒に値する焼き物といえば、この辺りでは『瀬戸黒』という種類があるのですが、それはすでにいろんな方が作っていらして、あまり自分らしさを追求することができなかったんです」
黒い志野へのチャレンジ
「いろいろ実験していく中で、土が黒かったらいいんじゃないか? と思いつきました。それまでは釉薬で黒の表現を探していたので、土自体を黒にする発想がなかったんです。それで原料屋さんと一緒に粘土の開発を始め、だんだんと形にしていきました。黒の土で志野を作られている方は現在もほとんどいらっしゃらないのではないか、と思います」
「安土桃山時代に生まれた志野は、当時にしてみれば最先端のものだったはず。戦国の時代、その世相から出てきた焼き物だと思います。自分の作品も時代の波に乗れていたらいいのですが、実際はそこまで意識しては作っていないですね。昔ながらの陶芸をご覧になってこられた方には『これは志野ではない』といったご意見いただくこともありました。私としては、志野という技法を使いながら、日々の暮らしの中で自分が感じることを作品に落とし込んで行けたらいいな、と考えています」
(Numero.jp「陶芸家・林友加インタビュー「伝統的な焼き物、志野をモダンに再解釈」」より抜粋。全文はこちら)
Photos:Ai Miwa
Interview&Text:Akiko Ichikawa