Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|131番地の天国
「あの坂を上ってみよう。」
偉大なる、愛しき人という名の坂道。道の両脇に窮屈な三次元世界から溢れ出さんばかりに咲き乱れた、一面の黄色いワイルド・クリサンセマム(野菊)。…まるで天国の風景みたい。この風景は、アンクルが今いる処にきっと似ているのかも知れない。視界の隅を過ぎる黄色い流星群の尾が、開け放ったクルマの窓の四角に切り取られている。カナカ(※ハワイアンであることを示す)のアンクル・アカシオがこの惑星にさよならを告げた。彼は、この島のどこにだっている当たり前の「聖者」だった。もう誰も、アンクルのあの瞳で優しく見つめてもらうことは出来ない。そう思う時、わたしは自然と両腕をクロスして、自分の肩を寂しく掴む。例年以上の雨が降ったこの丘。いつもならカラカラに乾いて赤茶けた山々なのに、しっとりと雨露に濡れ、黄色い花びらのエッジがオパールの石の波みたいに光る。
“溢れ出さんばかりに咲き乱れた、
一面の黄色いワイルド・クリサンセマム(野菊)”
島の四季を、今から七回もさかのぼった頃の出来事だった。予想しないハプニングが続き、困惑しながらも遂に思い出の一杯つまったサンダルウッドの丘の家を後にすることを決めた日…。それは悲しい決断だった。突然荒野へ放りだされた迷い猫のように、東の方角へと当て所なくクルマを走らせたわたしたち。ハイウェイをマウカ(山側)へ曲がると、こんなに小さな島なのに、終わりも無く続くかのようなその坂道。南からは水平線が追いかけて来る。ふと、思い出した。
「…あぁ、この道はいつか来たことがある。島へ来たばかりの頃だった。こんな道を通って辿り着く家に住んでみたいと夢に見た…。」
一面に広がるのはクリサンセマムの黄色。
「…よく見るとこの葉は、クリサンセマム科のかたちをしていないわ。だからこの花が本当は何であるのかはわからないけれど…。」
こころで語り続けながら、偉大なる、愛しき人々の坂を上りきる。「天国131番地」。木の幹に打ち付けられた、そのナンバーを目印に、クルマから降りてわたしたちは踏み出して、長い間、人の気配が無かったことを感じさせる風景の中へ誘われた。この家の前に立つと、一際おおらかに迫ってくる海と空。そこに横たわる水平線が向ける眼差しに、わたしたちは釘づけになった。まるで恋に落ちた瞬間みたいに。
“偉大なる、愛しき人々の坂を上りきる「天国131番地」”
「待ってたよ。」
と、囁き微笑む小さな黄色い花たちの、群れの揺らめき。誰かに愛されていることを感じた時のように、からだの中心があたたかくなり、そのぬくもりは、優しい涙となってわたしの中からこの世界へとこぼれ出た。時は止まったかのようだった。目をあわせなくても、わたしを取り巻くすべてが同じことを感じているのが手に取るようにわかった。
その日から、月の満ち欠けが一周するのさえ待たずに、わたしたちはサンダルウッドの丘の家を後にして、この天国131番地の家に、家族揃って暮らし始めた。…ふりかえれば、どうやってそんなことができたのだろう?すべてのプロセスには秘密の仕掛けがあったのだと信じるほどに。
この家で暮らし始めてからのこと、より深きものがわたしの中に降りてきた。カンバスの前に座る時間がたくさん与えられ、もっともっと絵が生まれた。海と空の絵。花の絵。
“すべては1000年後の風景。過去と今、そして未来。
いつもわたしたちが、そしてあなたが此処にいるから”
引っ越しの荷物の中からわたしが見つけたのは、黄色い花の中に佇むアンクルの写真だった。そう。これは、ワイルド・クリサンセマムによく似た、あの黄色い花たちからのラブレター。そして、秘密を仕掛けた犯人を確信した。犯人のやさしい瞳をわたしが忘れることは無い。これからもずっと。
朝目覚めると、ひかりは東の雲から山へはしごをかける。夕暮れには、マジカルな西色たちがわたしを見ている。すべては1000年後の風景。過去と今、そして未来。いつもわたしたちが、そしてあなたが此処にいるから。
Photos&Text:YAMAZAKI MIYAKO
Instagram:@miyakoyamazaki
※こちらのエッセイは、株式会社ワコールのために作成され、同サイトにて2024年9月30日まで掲出されていたものです。