Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|vol.9 香ばしい人
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ。

水平線の向こうの国まで旅しようと決めたなら、小さな島ではまず、旅券に貼り付けるため顔写真を、誰が撮ってくれるのか考えなくてはならない。日用品が並ぶ店が2軒に、郵便局と図書館、さらに2軒ほどのランチプレートを売る店、2軒のコーヒーショプ、それから銀行とベーカリー。そんな小さな町には小さな新聞社があって、島人向けの最新ニュースが、限られた紙面から発信される。その新聞社で、撮ってもらえるという噂に、早速行ってみても、「close」という赤い縁取りの看板がドアにぶら下がってる。そうかと思えば、引退した写真家のおじいさんが、島の北に住んでいるとはいうけど、そのおじいさんのナンバーがわからない。

「アンティ・クッキーが撮ってくれるよ」
誰からともなく聞いた。クッキーという美味しそうな名を持つハワイアンのおばあちゃん。この名を聞くたび、アンティ・クッキーのパパとママは、何故こういう命名をしたのかしら?と考えることがわたしのクセになっている。そういえば、島の東にはアンティ・キャンディーというおばあちゃんも住んでいる。美味しいものは、皆を笑顔にするから、我が子の人生が甘美で幸せであることを願ってのことなのかもしれない。美味しそうな名を持つおばあちゃんたちは、どんな人生を生きたのだろう。

そう、アンティ・クッキーはウクレレが得意なミュージシャンだった。歌声も素敵だ。フラハラウ(フラを教える学校)には、ミュージシャンが絶対必要で、7日に一度のレッスンのたびに、彼らは時間通りに稽古場となる町のセンターに登場しなければならない。素晴らしい歌い手たちが、少なからず島にはいる。ふとした時間が作る空間に、そのメロディがさざ波のように滑り込んでくると、思わず胸をときめかせてしまうほどの歌声の魅力。宝石のような風景に日々見つめられていると、雑念のない海と空の視線をいっぱいに注がれたその身体が、とびきり有機的なインストゥルメント(楽器)になるのかもしれない。そこから生まれるバイブレーションは、聴き手の魂まで染み渡る。だけれども、そんな歌い手たちが必ずしも、フラハラウのミュージシャンになるわけではない。なぜなら、天からの贈り物のような歌声を持っていることと、7日に一度、いつも同じ場所に同じ時刻に出向くことが得意であるかどうかは、全く異なるサブジェクトだから。フラハラウのミュージシャンには、歌声以上に、約束を守ることを大切にすることや、フラのステップを学ぶ小さなダンサーたちの、心を裏切らない決意のようなものが求められるから。そう、アンティ・クッキーは、そんなフラハラウのミュージシャンのひとりだった。

島の子どもたちの行動は、大人たちの生活に左右される。フラを習いたくても、運転してくれる大人がいなければ、それは虚しく諦めさせられるだけ。ダンサーになる夢を捨てた子どもたちもたくさんいる。島の東に住んでいた今は亡き、クムフラ(フラの師匠)アンティ・モアナは、そんなふうに捨てられた小さな夢たちを、トラッシュボックスから一つ残らず救い上げようと、自らスクールバスを運転した。島中の子どもたちを迎えに行き、レッスンが終われば、家族が待つ、ひとりひとりの家まで送り届けたのだという。そして、クムフラが必要とすれば、いつでも駆けつけ、ウクレレを弾き、その歌声を子どもたちのフラのために捧げていたのが、アンティ・クッキーその人だった。

そんなアンティ・クッキーの特技は、フラハラウのミュージシャンというだけではないらしい。カメラの扱いにも長けていると。アンティは、大切なカメラを取り出して、サーフィンが上手いモオプナ(孫)の自慢話をしながら、パシャリと撮る。パーラー(リビングルーム)での撮影は、あっけらかんと、魔法のようにシンプル。サバサバと軽快なのに、出来立てのサクサク焼き菓子みたいにあたたかい。
アンティ・クッキーの片目で、ファインダーから見つめられた光。その顔写真を貼り付けた旅券と一緒に行く旅ならば、心の奥からハミングが響いて来るような、幸福に満ちたものになるに違いない。アンティのドアから、二十歩の波打ち際。帰りがけに、語らないエメラルドの水平線と目を合わせると、アズールの島風は、やさしく、その手を繋いでくれた。

Photos&Text:YAMAZAKI MIYAKO
PROFILE
山崎美弥子|Miyako Yamazaki
アーティスト。東京都生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、東京を拠点に国内外で作品を発表。2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。著書に『モロカイ島の日々』(リトルモア)、『ゴールドはパープルを愛してる』(赤々舎)などがある。
Instagram:@miyakoyamazaki