Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|vol.15 裸足のステップ− 2
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ。
褐色の肌に、海の底みたいに、深く透き通る瞳を持つアンティ・アネット。彼女に誘われ、五十五歳以上だけがジョインできるフラのクプナクラスに通うようになったのは、マンゴウの季節が終わりかけた頃だった。それからまもなく、クラスのベテランダンサーたちが、波の向こうの大会に出場する予定であることを知る。そして、人員不足につき、どうやら自動的に、ジョインしたばかりのわたしまで、メンバーとなっているらしかった。彼らの出場には長い歴史があり、それは当然の決まりごとのようになっていて、出場の度、かなり優秀な成績を収めているとも聞く。わたしは察する。この大会で評価されるポイントは、フラの技術以上に、そこから伝わる、あたたかさあふれるマナ(エネルギー)なのであろうことを。なぜなら、常に優秀な成績を収めているという我がクプナクラスのダンサーたちは、高度な技を厳しく身に付けているような、選りすぐりの面々では決してないから。そうではなく、ひとりひとりがただ普通であるがゆえ、限りなく美しい人たち。
本年度の大会で、ソロで競うために選ばれたダンサーは、アンティ・アネットその人。アウトリガーカヌーの選手でもある彼女は、その背中に、島の伝統的なスタイルの、優雅なエイのタトゥーを入れている。彼女が踊る楽曲は「オハイアリイ」。オハイアリイとは、赤と黄のヴィヴィッド・カラーを纏う大胡蝶の花のこと。可憐にほころぶさまを慈しむ気持ちを、愛おしい人への想いに重ねたナンバー…。エレガントな音階。イントロが流れただけで、鳥肌をいざなう名曲。

夏が終わる少し前の、あるレッスンの午後、アンティ・アネットは少しばかり遅刻してクラスに登場した。いつものように、おどけ声と一緒に、はつらつとした笑顔の白い歯を見せながら、大会のソロの練習のポジションに立つ…でもその前に、
「ハイ、ミヤコ!」
…と、ハグとキスを贈ってくれることも忘れていない。世間話に花を咲かせていた他のダンサーであるアンティとアンクルたちも、彼女の踊りが始まることに気づき、観客役に徹するため、徐々にその声のボリュームをトーンダウンさせる。それでもなお、目には見えないキャッチボールみたいに、わたしの頭上をいくつかの会話たちが終わらずに行き来する。チューニングが合わないラジオの雑音を聞き流す時みたいに、あるいは、アンティとアンクルたちの混ざり声を、心地良いバックグラウンドミュージックに見立て、漂わせ、委ねるかのように…。すると、信じられない声がわたしの耳に飛び込んだ。
「昨日の夜よ。アネットの娘が亡くなったのは」
わたしは急に夢から覚めたかのように勢いよく振り返り、その声の源を、問いただすように激しく見つめた。源はただうなづいて、わたしだけに聞かせるような小声で言った。
「ずっと患っていたそうなの」

それ以上は絶対に早くすることはできないほどに急いで、視線を移動させ、アンティ・アネットを確認したわたし。同時に音楽が始まった。そこで見たのは、いつもと何ら変わることなく踊っているアンティ・アネットの、やさしく満ちた微笑み。まるでいつもと同じように。
その日のその後のことを、わたしはまったく覚えていない。…オハイアリイ…愛おしい人への想いに重ねたナンバー。唯一残るその日の記憶、それは、彼女のフラに寄り添うように、リピートするその曲のメロディが、白くて蒼い水平線の彼方へと、羽ばたく様子を見つめたこと、ただ、それだけだった。

山崎美弥子|Miyako Yamazaki
アーティスト。東京都生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、東京を拠点に国内外で作品を発表。2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。著書に『モロカイ島の日々』(リトルモア)、『ゴールドはパープルを愛してる』(赤々舎)などがある。
Instagram:@miyakoyamazaki