Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|vol.11 輝きと黄昏
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ。

フラリとリウラ。輝きと黄昏。そんな対照的な名を授かった島の姉妹。ユーカリ香る道を抜け、ペニンシュラ(半島)を一望する秘密の展望台へ…姉妹の家は、そこへ辿り着く途中にあった。パパとママとの4人家族。常夏の島にも、冬が来ればその感触がある。北に位置するその家には、島では珍しいレンガの古暖炉があった。それは夏の記憶とは異なる、あたたか色のともし火。マリンブルーが生まれ続ける、島のほとんどの季節においては、無論その出番はないのだけれど…。フラリとリウラ姉妹のパパとママの瞳は、どちらもエスプレッソ色をして、トーストが軽く焦げたみたいな肌や髪が美しい。
そして、今は亡き姉妹のトゥトゥカネ(おじいさん)は、島の伝統的な手法である、ストーンカービング(石に彫刻を施す)の芸術家だった。彼の作品は、島で唯一の図書館に今なお展示されてるし、トゥトゥワヒネ(おばあさん)は島のポリスステーション(警察署)のオフィスで長年努め、ふたりとも、すべてを包むような笑みが島の人気者であることを証明していた。

フラリとリウラは、キラカイとタマラカイと年が近く、彼女たちが皆揃って小さかった頃、同じフラのクラスに通っていた。フラリとリウラと彼女たちのパパとママが、サンダルウッドの丘のわたしたちの家に、たった一度だけやって来たことがあった。水平線までライトグリーンの風が通り抜けるサンデーブランチ。海の香りと、ガーデンから運ばれてくる甘い花々の匂いが混ざり合い、集ったわたしたちのスペースを占領した。ダイニングの窓辺のテーブルを囲む。わたしたちの正面には姉妹のパパとママが並んで座った。彼らの視線の先には、フラリとリウラの姿。フラリの笑顔は、島に降りそそぐゴールドの日の光のように明るく、リウラの物静かなたたずまいは、眩しい今日という日にも、やがては訪れる濃厚なヴァイオレットの黄昏を予感させた。

サンデーブランチの席で、わたしは気づいたことがあった。それは、フラリとリウラのパパとママの、瞳のその奥深くには、何千回も転生したオールドソウルのような、揺るぎない、ぬくもりの光が宿っていることだった。どきっとさせられるような…。きっとフラリが転んで砂だらけの膝を抱えたなら、その瞳は一瞬の憂いを見せて、でも、すぐにやわらかな光に変わるのだろう。リウラが海辺で見つけた小さな貝殻を誇らしげに差し出したなら、その瞳は、世界一と言えるくらいの喜びと共感の色に満ちるのだろう。そう、それは、言葉を発することもなく、すべて伝わる。条件など無い受容という引力。

フラリとリウラにとって、パパとママの眼差しは、この惑星で最も安全な場所であることを疑う余地なんて無い。その温度の中で、彼女たちは安心して自身を解き放ち、それぞれの輝きと黄昏を育んでいけることだろう…。フラリとリウラには、そんな風に見つめられている子どもたち特有の、ゆったりと心地良く、まるでこの惑星の中心へと沈み込むような落ち着きがあった。見つめるという、かけがえの無い贈り物。何の飾りもなく。
終わらない島の五月の晴れやかさを翼に浴びた、小鳥たちのはしゃぐような囀り。やさしく広がるのは、この日を讃えるハミング。ダイニングの窓枠の向こうの水平線は雨上がり。虹を探すフラリの無邪気な好奇心、窓の外から届く、ピカケ(ジャスミン)を香るリウラのおだやかな静けさ。そして、二家族分のプレートと不揃いのカテラリたちをキッチンから運ぶ役を買って出た、キラカイとタマラカイの弾けるようなおしゃべり声がかさなる。少女たちの行く末は、より多くの瞳に愛された分だけ光ってる…。誰かが言った。
「ほら見て」
ダイニングテーブルのバッググラウンドに出現した、眩しいダブルレインボーのように。

山崎美弥子|Miyako Yamazaki
アーティスト。東京都生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、東京を拠点に国内外で作品を発表。2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。著書に『モロカイ島の日々』(リトルモア)、『ゴールドはパープルを愛してる』(赤々舎)などがある。
Instagram:@miyakoyamazaki