Planet Journal 惑星日記 山崎美弥子|vol.12 約束された祝福
「1000年後の未来の風景」を描き続けるアーティスト山崎美弥子がハワイの小さな離島から送るフォトエッセイ。
わたしとレビーが船上の人生の幕を下ろして、船を手放したあの日。歳月は過ぎ去り、再び船に出会う運命が訪れた。そう、もう一度わたしたちはセイルボートを手に入れたのだ。それは、十二ヶ月を今から四、五回さかのぼった頃のことだったと思う。ひと回り小さい。でも、もっと安定感がある、かつての船と同じ白い帆の。船名は「バウワウ」。犬の吠え声だ。島で少しのあいだ暮らした獣医が乗っていた船だったというから、無論、彼が名付け親に間違えはないだろう。器用なレタリングで船体に書かれたその名が視界に入る。そのたびに笑ってしまう。なんとも冗談のような名だけれど、西洋には、船名を変えると不運を招くという言い伝えがあるという。だから、ユニーク過ぎるその名を、変えてしまおうという選択肢はなかった。不運を招き入れるよりは、時々吹き出してしまったり、誰かに笑われたりする方が、よっぽど良いに決まっているから。
船はあちらこちら修繕が必要で、当時のレビーはそれを喜びとして取り組んでいた。そんな海の男たちは、南の島の港には大勢生息するもので、大方のところ、沖へ漕ぎ出せるほどに船のコンディションが整うと、水平線がピカピカに光る朝を選んで、祝うように出航するのだ。その時の彼らの誇らしさといったら、港中を笑顔にしてくれる。

ニイハウとは、ハワイ諸島の地図の中の、カウアイのさらに上に位置する島。とある英国人の所有とされ、その一族と、古代よりそこで生活してきたカナカマオリ(ハワイアン)の人々だけが暮らしている島だ。それ以外の出入りは許されていないから、もちろんわたしたちは訪れたことはないし、これからもないだろう。そんな島で生まれ育った男、生粋のカナカマオリであるプラニは、海の底のような奥深い色をした瞳をしてる。古代から民のために祈ることを役割とする一族の出だという。プラニと妻と子どもたちは、わたしたちがかつて暮らしていた、サンダルウッドの丘の上の家に住んでいる。そう、わたしたちが家を後にすることを決めて、4マイル半ほど東の、さらに小高い丘の上の家、天国131番地へと移った後、4人のこどもに加え、さらに5人を養子に迎えた大所帯の錨(いかり)であるプラニが、ある日、わたしたちにこう言ったのだ。
「あの家に俺たちを住まわせないか?」
思いがけなかった突然の提案に、一度は戸惑うわたしたちだったけれど、プラニの言葉は現実となった。そして、すべてはあるべきようにパーフェクトにおさまった。
それから間もなくのこと。修繕を終えた「バウワウ」を、初めて出港させる門出の日を決定し、カレンダーに印をすると、わたしたちはプラニを招待した。彼の島のしきたりに従い、プラニは船を祝福した。深緑のキイの葉は、コックピットの手すりに、守護を約束する印のように結び付けられた。大切な役目を果たしてくれたプラニが、家族のもとへと帰ってゆくのを見届けると、レビーは向き直り、ロープを緩めて帆を揚げた。コバルトの空と白い帆のコントラストの残像が、まぶたの裏にとどまった。
「シー・ユー(あとで会おう)」
レビーは、ひとり漕ぎだした。風の吹くまま、島の西の、神の住処と呼ばれる海辺へと向かって。船の光が、青々しい波たちと一緒に沖に向かって滑りゆく様を見送ったわたしと娘たちは、131番地の天国の家のガラージで、長い間眠っていた真っ赤なジープに颯爽と乗り込み、ハイウェイへ。陸地から同じ神の住処の海辺を目指した。海からの風がわたしたちの髪をはためかせた。そうして、海路を選んだ「バウワウ」と、陸路を選んだ赤いジープは、無事、約束の海辺で落ちあった。波飛沫に濡れた、プラニが結んだキイの葉。太陽が水平線の向こう側へ落っこちて、惑星の一日が、眠りについた後のこと。若い夜の湿った潮の香り。夜空は、イヴァが思いきり広げた翼のような黒の魅力に占領され、宝石のような星たちがキラキラという音を立てて瞬いていた。
山崎美弥子|Miyako Yamazaki
アーティスト。東京都生まれ。多摩美術大学絵画科卒業後、東京を拠点に国内外で作品を発表。2004年から太平洋で船上生活を始め、現在は人口わずか7000人のハワイの離島で1000年後の未来の風景をカンバスに描き続けている。著書に『モロカイ島の日々』(リトルモア)、『ゴールドはパープルを愛してる』(赤々舎)などがある。
Instagram:@miyakoyamazaki